2010年12月05日

多読 年間100冊読了への挑戦(生協の白石さん)

『生協の白石さん』 白石昌則、東京農工大学の学生の皆さん/著

この本は、東京農工大学の生協(購買)に寄せられた「ひとことカード」の内容を書いたものである。
この「ひとことカード」とは、学生が生協に対する質問、意見、要望をかいて投書箱に入れると、生協職員がその内容に対する回答を書き、掲示板に貼り出すというものである。

普通はこんなもので本になることはないだろう。
だが、この白石さん、学生が冗談やおふざけで質問についても丁寧かつ真摯に、またキラリと光るユーモアを交え回答していたことから、これが話題となり、ネットやテレビで紹介され書籍化に至ったものである。

質問は、くだらないものから青春の悩みといったものまで様々だが、どのような質問であれその回答は実にスマートで清々しい。
学生にとって見れば、おふざけ的に書いた質問であってもきちんと対応されたことで、喜びや共感を感じ、また自らの存在感を確認していたのではないだろうか。

学生からの様々な質問を読み、不覚にも自らの大学時代の青臭い青春の感覚というものをありありと感じてしまった。
友人とバカなことを真剣にやっていた日々、時として何か訳もわからず焦燥感に襲われ、それでいてなんとなく気怠く物憂げ(アニュイ)でいたようなまどろみの日々・・・。
懐かしいというより、なんとなく恥ずかしい気分になるのはなぜだろうか。
(ちなみに、おかしな想像をされる方がいるといけないので補足しますが、そんなに恥ずかしいことはやっていないです。何故かそんな気持ちになっただけですよ。)

このような事で有名になった白石さんではあるが、本人はどうも恐縮しきりで「ひとことカード」は本来は、生協に関する質問、意見、要望を書くところ、関係の無い質問にまで回答しこのように有名になってしまったことを気に止めるような方である。
とはいえ、あくまで自らは生協の職員であるというスタンスを忘れずに回答しており、しっかりとした1本の筋が通った回答になっていると感じられる。
本当に、白石さんという人柄の良さ、人間性が表れている。

もし、私が白石さんであれば、生協に明らかに関係の無い質問などは、きっと黙殺してしまうであろう。
残念ながら、白石さんほどの了見は持ち合わせていない。
したがって、私のブログに貼られた品行方正とは言いがたいコメントやトラックバックについては、丁重に削除させていただくつもりである。
あしからず。

(本日までの記録:今月2冊 合計52冊)
posted by エンタ at 07:18| Comment(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月27日

多読 年間100冊読了への挑戦(もしもトイレで地震にあったなら)

『もしもトイレで地震にあったなら』 やざきせうざう/著

この人の文章は実にうまい。
読みやすく、ユーモアに富み、しかも気取った感じはなく、楽しんで読める。
同時に文章表現の上手さが感じられる。
著者は大学の図書館で司書を35年務めた方である。
この経歴を聞いただけでも、文章表現能力が優れているであろうことが容易に想像できる。
長い間、様々な書籍にふれることで染みるように身についた能力なのであろう。
こんな文章がサラサラと書ければなあ、と羨ましくも思う。

第一章では、図書館での仕事に関する話題を書いている。
よく公共図書館を利用させていただいているが、図書館員の仕事がどのようなものか、正直あまり知らなかった。
窓口での本の貸出・返却と本の管理や整理くらいだろう、などと勝手な想像をしていた。(すみません)
だが図書館の本来の姿は利用者に情報と提供する場であり、専門的な質問や調査に対応するレファレンス業務は当然のこととして、最近では経営などのビジネスを手助けを行う「ビジネス支援」を行っているところもあるそうだ。
本館や中央図書館などの比較的大きな図書館ではレファレンス・コーナーがあり、レファレンス・ライブラリアンと呼ばれる方が調べ物の手助けや専門的な質問に対応してくれるそうである。
この頃は手軽に素早く調査ができるインターネットの利用が増え、図書館での情報が軽んじられるという傾向があるかもしれないが、私は多くの人の目を経て手間と時間をかけた書籍からの情報は、インターネットの情報に比べれば、速報性では欠ける点はあるが、正確性と有用性の観点から大変に重要で貴重なものであると考えている。
著者の言うとおり、日本の文化を担う役割をもった重要な機関であることに間違えはない。

少々脱線したが、本の感想に戻ろう。

ユーモアあふれる内容で、すんなりと読める事は先ほど述べたとおりである。
ただ、読んでいてふと感じたことがある。
ユーモアのセンスが、どうもオヤジ的である。
「キラリと光る」というより「いぶし銀に光る」という形容詞が似合うユーモアのセンスである。
このオヤジ的ユーモアがとても面白いのだが、そのように感じてしまう自分に少し悲しさを感じてしまう。

年をとると嗜好がかわるということはよく聞く。
ユーモアのセンスも同様なのであろう。
若いときは、とっさにキラリと光るユーモアが生まれてきたものであるが、最近は話す前にどのようにオチをつけようか、と必死に考えてしまう。
オヤジ化の始まりであろう。

そんなことを考えていると、オチオチ寝てもいられない。

(本日までの記録:今月7冊 合計49冊)
ラベル:多読 読書
posted by エンタ at 18:19| Comment(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月20日

多読 年間100冊読了への挑戦(哲学的な何か、あと科学とか)

『哲学的な何か、あと科学とか』 飲茶/著

この本は、実に面白い。
今年読んだ本でもっとも面白い。
しかし、かなり危険な本でもある。
注意が必要だ。

この本は、科学に関する本である。
しかし、哲学の本でもある。
著者は、「この本は哲学の本だ」というかもしれないが。

アインシュタインの登場と量子力学の誕生依頼、科学の分野、特に物理学の分野は、哲学と融合したかの如くの歩みを見せている。
この本で、科学と哲学は表裏一体であることを改めて思い知らされた。

「哲学と宗教には気をつけろ!」 おやじの口癖だ。(ウソです)

学生のころ、私は量子力学をとことん嫌った。
アインシュタインよろしく、私も「神はサイコロを振らない」と強く信じる信者のひとりだ。
そのため、量子力学には反対の態度を取ってきた。
量子力学をはじめ、電磁波工学、物性工学といったシュレディンガーの波動方程式が出てくる教科には、とことん反抗的な態度を取ってきた。

なんといってもあの記号、波動方程式を表すハミルトニアン、なんともいやらしさを感じる。
物理学には実に似つかわしくない。

ということで、量子力学にとことん反抗的であった私は、成績表という形で仕返しを受けるはめとなったのだが・・・。
※ 誰ですか?単に、頭が悪かっただけだろ、なんてことをいう人は。

本題に戻そう。

この本には、数式らしいものは一切載っていない、にもかかわらず、読みきるのに10日を要した。
それは、理解出来ない部分はページを戻って読みなおしたり、考えすぎて頭脳がホットになったときは頭を冷やしてから読み進んだりしたためである。
並行して別な本も読んでいたのだが、この本を読み切る間に、1冊半も読めてしまった。

なんといってもこの本でもっとも面白かったのは、「3章 量子力学とは」である。
これを読めば、量子力学が如何にヘンテコな学問であるか、わかるであろう。
実験結果を都合よく説明するために、事実としては到底考えられない説明をしているように思えてならない。
すなわち、例えば手品師が何も無いところからボールを出したのをみて、この人には何も無いところからボールを発生させる能力がある、といっているに等しい。
まともな判断力をもった者であれば、量子力学は信頼できない、というハズである。

この本を読むまで、私は知らなかった。
シュレディンガー量子力学の考え方が嫌いで、こんなへんてこな科学に関わったことを後悔して物理学者をやめたということを。
また、物理学の世界から去るときに、量子力学をけなすため考えた思考実験が「シュレディンガーの猫」であったということを。

シュレディンガー、おぉ同士!!! と叫びたい!

あれほど嫌っていたシュレディンガーの波動方程式、親しみを覚えてしまうではないか。
学生時代にこの本があれば、もう少し量子力学に対する興味、理解も変わったかもしれない。

そして、「第5章 もっと哲学的ななにか」では、ドラえもんのどこでもドアの恐怖が書かれている。
怖い、夢にでてきそうだ。
昔、プレステージという映画を見たが、これを思い出す。

また、脳半分人間
もとに戻せることならば、私も一度脳幹を切ってみたいものだ。
どのような世界観になるのか味わってみたい。

・・・こういったことを考え始めると、夜も眠れなくなる。
仕事も手につかなくなる。
家庭の崩壊につながる危険な本である。

(本日までの記録:今月5冊 合計47冊)
posted by エンタ at 08:30| Comment(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月14日

多読 年間100冊読了への挑戦(「書ける人」になるブログ文章教室)

『「書ける人」になるブログ文章教室』 山川健一/著

本の題名から、ブログの文章の書き方について実用的なことが書かれている、という印象をうけるかもしれないが、最後の章に小説の書き方が少し書かれている程度で、文章の書き方に関する実用的な内容はほとんど書かれていない。
日本でのブログの傾向やあり方、著者の人気ブログを書籍化した経験、ブログに対する想い、などといったことが綴られている。
題名から、実用的な書き方に関するものと思ってこの本を手にした人は、期待はずれになるかもしれないので注意が必要。

アメリカと日本のブログの性質を比較すると、アメリカでは情報交換やジャーナリズムの性質が高いのに比べ、日本では日記的性質が高く、日記を使った自己表現の場という、一味違った独自の文化を展開しているそうである。

著者は、日本は古来から、日本三大随筆『枕草子』、『方丈記』、『徒然草』に代表されるような日記型文学が根付いており、日本のブログもその文化にマッチしたものであり、自己表現の原点であるという。

なかなか面白い理論を展開するなあ、と感心させられた一冊である。

ん、ちょっと待て。
このブログのタイトルは、

「エンタの徒然日記」・・・。

なかなか面白いどころではなく、全くその通りではないか!

あやしうこそものぐるほしけれ。


(本日までの記録:今月4冊 合計46冊)
ラベル:読書 多読 ブログ
posted by エンタ at 11:21| Comment(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月09日

多読 年間100冊読了への挑戦(村上式シンプル英語勉強法)

『村上式シンプル英語勉強法』 村上憲郎/著

現在のグーグル株式会社名誉会長(出版時は米Google副社長)である村上憲郎氏が、自らの体験と実践を基に、英語を身につけるために行うべきこと、やらなくても良いことをシンプルに、かつ、パワフルに書いている。

内容は分かりやすくシンプルなためか、一般的な英語の勉強法に関する書籍と比べるとかなり薄い。
しかし、本の厚さ(薄さ)に反比例して、やるべきことはパワフルで、覚悟と根気を必要とする内容である。

この本の副題は「使える英語を、本気で身につける」とあるが、ここで強調されるべき言葉は「本気」という部分である。

著者の考えは、英語は言葉なんだから理屈じゃなくてやればだれでもできる(どこかの予備校の宣伝みたいですが)、完璧を目指さずとにかくペースよく前進して量をこなすことが大切であると説く。
あたかも英語は筋力トレーニングであり、ダラダラやっていてはだめで、一定期間に程度の負荷をかけたトレーニングを続けないと、英語力という筋肉はつかないということである。

ガツンときた1冊であった。

「よ〜し、今はいそがしいので、来年からやろう!」
って、これだから私はいつまでたっても英語が話せないんだな・・・。

(本日までの記録:今月3冊 合計45冊)
posted by エンタ at 00:30| Comment(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。